2016年 08月 15日
酸っぱいブドウの理論〜❓~(・・❓)) |
イソップ童話の『狐と葡萄』という物語をフロイトが引用し、防衛機制・合理化の例としたもの〜(°_°)
確かイソップは教訓として、何事も高望みはいけませんよ、みたいなことで締めていた気がするが、これはフロイトの使用例デス〜(;^_^A
『狐と葡萄』のあらすじは、キツネがたわわに実った美味しそうなブドウを見つけ食べようとするが、ブドウが全て高い位置にあり、飛び上がってもどうしても届かない。そこでキツネは怒りと悔しさで「どうせこんなブドウは酸っぱくて不味いだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を吐いて取るのを諦めるという話。
まあべつに狐でなくて、人間に置き換えれば「ブドウ」というのは人の欲望の対象なのです。金、物、地位、階級など、自分で努力しても届かないものを意味します。そしてその欲望と現実のギャップを埋め合せるために、自分に都合のいい理屈を並べて解消したいとするいじましい心理メカニズムを、心理学では「酸っぱい葡萄の理論」という〜( ̄O ̄;)
また同義用語として「甘いレモンの理論」というのもあります。これはどんなに酸っぱいレモンでも、自分のものである限り、甘いと思い込もうとする心理を指します。つまり、ここでは「酸っぱい」ことをネガティヴなものとして類型化した上、「甘い」ことに価値を置いています。
実際はレモンは酸っぱいもので、そこに価値があるのですが、せっかく手に入れた自分のレモンだけは甘いんだとする、やはりいじましい負け惜しみの心根があるのです〜
by jj111iii2016
| 2016-08-15 06:42
| 日記・出来事