2016年 04月 30日
「六根清浄」の有効性〜?(^~^;; |
「六根清浄」というと混淆宗教の修験道の山伏が唱える掛け声と記憶しているが、山籠りをするのは不浄なものから五感を守り、心を清らかにするためだ。
しかし山籠りすることは修行ではあるが、俗世間から退避するという遮断された環境を作るというものだ。それが出来ないとしても、毎日が修行だと考えれば都会でも六根清浄は可能ではないのだろうか?
【眼識=視覚】文字やシンボルを使って迷わす
【耳識=聴覚】言語や音楽を使って迷わす
【鼻識・舌識=嗅覚・味覚】薬物などで迷わす
【身識=触覚】異性を近づけたり、あるいは暴力を加えて迷わす
【意識=識別・思考作用】視覚や聴覚を介し言語により思考を迷わす
これら全てが六根清浄で防止できるというのだが…(ー ー;)
結局詐欺師でもなんでも、不浄なものは対象者の五感を通して入り込んでくる。そして洗脳しようとする。
これを防ぎ、自分の意識を守るためには常に五感と思考に気をつけてチェックを怠らないようにしないとダメと
まあそれは解る。
上に書いた五感は=欲望である。この対象に対し「意」が第六であるとされる。「意」により認識対象たる五感に気を付けていれば、貪欲から離れられて苦しみから解き放たれる、ということだ。
逆に言えば眼・耳・鼻・舌・身そしてそれに迷わされた意もだが、この六つの認識対象が人を迷わすので、それを解っている詐欺師は人を迷わすためにこれを操作する。
【スッタニパータ 250 「通路 ( 六つの機官 ) を守り、機官に打ち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著 (しゅうじゃく) を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」】
「見聞きしたことに汚されない」とは「洗脳されない」と同義である。常に六つの器官と六つの認識対象に気を付けて、囚われないように心を守っているものは「見聞きしたことに汚されない=洗脳されない」ということである。禅僧・鈴木正三も「常に心を守り六賊煩悩を滅せよ」と教えている。
六賊煩悩/六根清浄
いい言葉です〜( ;T_T)\(^-^ )実践しろよ
by jj111iii2016
| 2016-04-30 08:44
| 日記・出来事