2016年 03月 08日
作られた万世一系 ⁉︎ |
今上天皇は125代目といわれている。こういう危ない話題はあまりしたくはないのだが、「諡号」のことを書いてから、気になりだして少し調べてみた。
実際、初代の神武天皇から神話の世界が覆い尽くしているので、それは置いておく。
やはり明治以後の「国体」を作る中で、国を挙げて正当性を主張してきたわけだが、その中で気になる記述を見つけたので、記しておきたい。
「故事類苑」という書がある。これは明治政府により編纂が始められた類書 (一種の百科事典) であり、明治29年〜大正3年 (1896〜1914) に刊行された。古代から慶應3年までの例証を纏めた日本唯一の官撰百科事典になる。
これによると、【順徳天皇 (1197〜1242) 以来、光格天皇 (1771〜1840) が漢風諡号を再興するまで、実に500年以上「天皇」は途絶えていた】というのである。
何といっても時の政府が編纂させて、内容を了承の上で刊行したのだから「間違い」はないのだろう。
しかも「是全く漢土( 中国) の制度の模倣ゆえに、今、漢風諡( おくりな) という」とされている。
つまり江戸時代末期の光格天皇(119代)以後、仁孝天皇(120代)、孝明天皇(121代)、明治天皇(122代)、大正天皇(123代)、昭和天皇(124代)、今上天皇(125代)に至る系図があるのだが、それ以前は天皇不在の時期が529年にも及んでいたということになる。
かつ、再興するにあたり、漢風制度を導入しているわけで、少なくとも日本古来の伝統とは無縁であるとなると、万世一系とどうして言えるのか?という疑問が湧いてくる。
しかし宮内庁によれば現在まで天皇家は連綿と継いていることになっている。喪失した529年の間にもいつの間にか代々の天皇が存在している。
これをどう見るかだろう。
話は変わるが、明治天皇の父といわれる孝明天皇が、伊藤博文によって、厠で尻を槍で刺されて死んだという説がある。
伊藤を暗殺したとされる安重根も法廷でそのことを叫んだというが、確かめようもないので悶々としていたところ、思わぬ事柄からそれがガセネタだったことが分かった。
それは宮中における生活習慣である。指貫袴に直衣姿の帝は厠を使うことがなかったという。
更衣や典侍などの女官が指貫袴を脱がせ、樋箱を直衣の裾から入れて、座敷内で用を足すのが常だったからである。
ちなみに伊藤博文の暗殺にしても、実際犯行に使われたベルギー製のブローニング銃ではなく、弾道も違い互換性もないフランス騎馬銃の弾丸が体内より見つかっている。
しかも犯行位置とは逆の方向から撃たれているという世にも不思議な事件であって、では誰が真犯人なのかという推理話は、後日に移すが、いや明治以後の日本の闇は深い

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by jj111iii2016
| 2016-03-08 15:46
| 日記・出来事