2016年 08月 19日
認識と発心ー道元の到達点は❓〜(゚o゚;; |
道元は曹洞宗の開祖であり、日本の仏教界の巨人であり、類まれな思想家でもあった。道元の生きた時代(1200〜1253年)は、思想とは仏教であり、自然科学も人文科学もすべて仏教のうちに包含されていた。
仏教の真理は、森羅万象の究極の真理、宇宙の真理であった。その真理を究めたい一心で道元は中国(宗)に24歳で渡る。そして道元は、真理は究めるものではなく、不断にその中に生きることを悟り、帰国した。これが道元の宗教的回心となる。
留学中の道元にまつわる話は多くあるが、その中でも次のような話がある。ある日、道元が古人の語録を読んでいると、そこに一人の僧がやって来て道元に尋ねた。
「語録を見て、何の用ぞ」
「古人の行李(あんりー修行)を知りたいのです」
道元が答えた。
「何のために」ー重ねて僧が尋ねた。
「郷里に帰って人を教化(きょうけ)するためです」
さらに僧が尋ねた。
「何のために」
「衆生(しゅじょう)を利益(りやく)するためです」
「だから畢竟(ひっきょう=要するに)、それは何のためかと聞いておる‼️」
この問いに道元は窮した。得々として「衆生を救うため」と喋っている道元の口は、畢竟だれの口か。
そこで喋っているのは何者か。さらに返答に詰まっているのは、一体何者なのかー。
何のためーとは「為」という利害関係の「為」に他ならない。自分の利害でしか物事を判断出来ない糞虫を、かの僧は問うたのである。
また、初めて中国に着いたばかりの時、日本産の椎茸を買いに来た食事係の老僧の典座(てんぞ)に、幼い頃から神童と呼ばれて得意満面の道元は禅問答を試みる。
「いかならんか、これ文字」
「一二三四五」老典座は答えた。
文字など一二三四五の記号に過ぎない。頭を満たしている文字や知識などはただそれだけのもの、目録のようなものだ。ここで要求されているのは、真理を ” 外 ” のものとして喋ったり、目録を増やすことなどではない。真理を生き、真理を行じることだと道元は悟ったのである。
帰国後10年にして、宿願の永平寺が成り、大衆の前に初めて正法(しょうほうー禅)を示した時の言葉ー
「空手(くうしゅ)にして郷(くに)に還る。所以に一毫の仏法なし」と。
”この道元は手ぶらで帰った。土産の仏法などはない。この道元が仏法である”ーという宣言である。
教学、知識、経文、仏具などがあれば、伝えた者が没しても、それに頼ることができる。口で伝えることのできるほどの仏法ならば、説き来たり、説き去ればことは足りる。
しかしそうした道具土産は一切ない。この道元が釈迦・達磨以来の正法だと言い切った以上、道元はやむことなく生きた仏法そのものであり続けねばならない。さもなくば字義どおり「空手にして郷に還」っただけの無為徒食の外道に堕す。
悟ることだけが目的ではない。悟った上にも悟りを重ね、深めていくことが道元の仏法である。出家はかたちに過ぎない。出家した後にも、重ねて出家し続けるのが道元の仏法なのだ。そして只管打坐(しかんたざ)は、まさにその姿そのものなのである。
この境涯から、道元は山河に、花鳥に、石くれに法を見、法を聞いた。道元の哲学では「存在(有)は、時であり、時は存在である」とする。森羅万象は時の中で起こり、時の中で滅す。
有という存在者そのものに個性はない。ただそれが特殊の一点に姿をとって現れるとき、それは松となり、竹となり、山に、あるいは水になる。これは言いかえれば「まれびと」なのかもしれない。
人間も変わらない。キリスト教の唱える自己という実体はない。ただ時の中で、有が合成されて現れる姿があり、時とともに有に還っていく姿があるに過ぎない。それが法なのである。
したがって道元は末法思想を否定する。念仏宗の教えも「暇なく念仏を唱え続ける念仏宗の姿は、春の田の蛙が昼夜を分かたずに鳴き騒ぐようなもの。いかに唱えてもついに益なし」である。トランス状態になって恍惚に喜ぶ効果が法にかなうのかという問いでもあろう。
「仏仏祖祖、みな本は凡夫なり。凡夫の時は必ずしも悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、痴もある。然あれども、ことごとく改めて知識に随いて修行せしゆえに、みな仏祖と成りしなり。今の人も然あるべし。我が身愚鈍なればとて卑下することなかれ。今生に発心せずんば、何の時を待ちてか行道すべきや」
この言葉のままに生きた道元は、建長5年(1253年)、後事を一番弟子の孤雲懐奘に託して遷化した。
享年54歳の夏であった。
蝉が鳴いているー(゚o゚;;
ふう…道元にはなれそうもないや〜( T_T)\(^-^ )喝!
by jj111iii2016
| 2016-08-19 20:13
| 日記・出来事