2016年 06月 28日
限界集落〜{(-_-)} |
先日、押入れの奥から10年以上前に買って読みもしなかった本が発掘されてビックリ❗️
面白くて一晩で読んだその本の名は、ずわ〜ん❗️
『近代日本の乞食ー乞食裏譚』
著者は石角(いしずみ)春之助。フリーのジャーナリストである。
1890年(明治23年)京都府生まれ。1939年(昭和14年)、東京市立板橋養育院病院にて死去。享年49歳。
石角は関西大学、日本大学などに籍を置き、最後は明治大学を卒業し、報知新聞の記者となる。この本が書かれたのは、1929年(昭和4年)、数え年39歳の時で、当時のベストセラーとなった。
この本の中身は大正から昭和初期に渡る浅草を中心とした乞食群像のルポルタージュである。始めから終わりまで、すえたようなにおいのする内容の本である。
「センチメンタリズムの私は、浅草が限りなく好き」という石角は、本の扉にも「乞食よ! 汝の名は 幸福なり」と記しているように、乞食と同じ目線の高さで接して、胸襟を開いた乞食やその周辺の売春婦たちとの交流を描いたものである。
彼自身、乞食を目指していたかのような極貧生活に甘んじ、「正月に金なく生活す哀れさよ 寝ては起きては又寝るならむ」という短歌を残し、最後は浮浪者や貧民の収容される養育院病院で息を引き取った。
江戸時代には身分制度があり、順に「士農工商」、その下に穢多、非人があったと思っている人が多いようだが、今日ではそれは完全に否定されている。
「士農工商」というのは、士=武士階級から見た重要度の高い順の言い習わしに過ぎず、封建時代における ”身分制度 ” などではなかった。そう思わせているのは明治新政府のためにする前政権への否定の材料としてのものである。
江戸時代の武士階級が商人を一番卑しい存在と観ていたのは、その限りなき「欲」の持つ破壊力を忌み嫌った価値観にあった。今日では全く逆転してしまい、そのせいで間も無く日本は終わります。いかに徳川幕府の先見の明があったかということを身を以て受けとめる毎日である。己れの欲の実現のために、今では「商工農」の順で、庶民はその中にすら入れない奴隷階級である。
乞食を語る場合、穢多頭の弾左衛門、非人頭の車善七、維新前後に勢力を伸ばした非人頭(門附頭領)の山本仁大夫らの「活躍」があったのだが、それらが統括する乞食には9つの階級的数別があったのだそうだ。
曰く①ケンタ、②ツブ、③ダイガラ、④ヅケ、⑤シロイ、⑥タカリ、⑦ガセ、⑧タカモノ、⑨門附、ー実際は多くの乞食はそれ相当の職を持ち、物乞いをするのは障害者以外は内職のようなものだったらしい。江戸時代は基本的に幕府の工事人足がメインだったという。
そういえば、かのイザベラ・バードは日本には浮浪者や乞食がいないと感心して述べている。実際には門附などを目撃しているのだが、彼女はそれを芸能人として扱っていることを思い出した。
いずれにしろ昔の乞食は、細部まで組織化されており、職業の数は40種類以上あったという。その名残がまだ残っていた大正から昭和初期の日本の一断面を記したルポであったが、今浅草に乞食はほぼいない。
皆福島に作業員として行かされ、毎月500人ずつ限界まで働かされ、捨てられている。1日7000人の作業員はなす術もなく、原発ムラのために被爆させられる毎日を送っている。現代の非人として❗️
by jj111iii2016
| 2016-06-28 21:57
| 日記・出来事