2016年 06月 04日
無戸籍で生きるということ〜(u_u) |
現在、日本人の中で推定約1万人が戸籍を持たないまま暮らしているそうだ。
「戸籍」というのは、子供が産まれてから14日以内に出生届を役所に提出すれば取得できる。つまり「無戸籍」とは、何らかの理由でそれが出来なかったということになる。
戸籍がないということは、住民票が作れないので、就学通知が届かず、「義務教育」が受けられない。さらには家を借りたり、銀行口座を作ることも出来ないし、携帯電話の契約も出来ない。健康保険証がないので、医療費はすべて自己負担になる。運転免許証を取得することも出来ないし、学歴がないから就職は極めて困難で、働くことが出来る場所は限られている。
では後年、戸籍を本人が希望する場合、取得することは可能なのであろうか。実はこれには大変な困難と労力が必要となるが、不可能なことではない。本人の戸籍はなくても片親でも判れば、それを辿ってどこの病院で産まれたのか、出生証明書が存在するのかが解明されることがあるからだ。
だが、新生児として産まれた本人を証明出来ない(証拠・証人の不在)ケースも多いと聞く。そうなると家庭裁判所に申し立てをして、調査をしてもらう方法があるが、まず本人が既に諦めてしまっている場合も多い。解明の窓口に立つことから既に困難な状態もある。学校に行けなかったコンプレックスや差別やいじめなどの体験を持つ人が多く、心を閉ざしてしまっているケースも見られるという。結果はどうあれ、当人が自分の戸籍を持ちたいという強い希望を持たなければ何も始まらない。しかしそこまで行けない人がほとんどなのだ。本人が戸籍を欲していない場合すらある。
本人にしか分からない複雑な心の問題を辛抱強く受け止めてアドバイスをしてくれる人材が何人いるか、またいたとしても、現行では本人が望まないならばどうすることも出来ない。このようなナイーブでデリケートな少数の人たちの問題は今まで置き去りにされてきた。このことに光を当てて自分ではどうすることも出来ない問題の解決を探るきっかけを作って来たのは今日のネットの力である。
確かに「戸籍」と「搾取」は同義語と言っても良い管理のためのツールという側面を持つ。それだけでは足りず、「マイナンバー・カード」なるものまで行政一丸となって推進し、徹底した個人情報の把握と洗い出しに励む今の日本の行政にイヤ気が差しているのは解る。だが海外に行くにしても戸籍がなければパスポートも作れないのである。
かのヒトラーも日本の戸籍制度を聞いて羨ましがったのは有名な話だ。それはIBMによって別のシステムで人種・出自検索システムを作ったことは以前に述べた。こういう社会システムー国家機関で教育を受けて、仕事に就いて、結婚をして、子供が産まれたら戸籍を作るーが当たり前という、それを受け入れなければ恩恵は受けられないということなのだろうが、実際にそうなったのは本人の責任ではないはずだ。
中には産まれてすぐに母親が死亡、母親の姉に預けられたが、迷惑に感じた義母が何の手続きも取らず、年頃になって訪ねた病院は廃業しており、義母も火事で死亡ということで証人も証拠も潰えて、過酷な労働条件を呑むしかない毎日の中で、戸籍を欲する意味すら分からないという人もいる。
戦後の混乱期に大量に発生した戦災孤児や、混血児も実は同様であり、かなり乱暴な形であったが、大半が戸籍を取得出来たという。
これを単純に特殊なケースと見るか、自分自身がそうだったらと考えることによって、生きるということの意味も変わってくるような気がしてならない。
今はただ現在に過ぎないのだから。
by jj111iii2016
| 2016-06-04 16:50
| 日記・出来事